教育支援 blog

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NPO法人教育支援三アイの会 木内 昭公式ブログ

過去の事

遠い思い出6

東京の中心地は3月10日の大空襲で一面焼け野原になってしまった。 その当時私は、中学4年生で,相変わらず日本無線という軍需工場に行っていた。 行っていたといっても,殆ど仕事もなく、工場の外の陽のたまり場で数人の友達とこれ からの自分たちの生き方を…

遠い思い出 5

中島飛行機の工場を去って新たに学徒動員で行くことになった日本無線株式会社は 中央線の吉祥寺で降りて25分余を歩く三鷹市の新川にあった。前の中島飛行機工場と違って工場の周りは櫟林に囲まれた静かな環境の中にあった。仕事も私が担当したのは、中型無線…

遠い思い出 4

学徒動員は,中学校の学舎を離れて、直接戦争の兵器を作る工場に毎日出勤したのである。それは、一般の工場の工員と同じ勤務であった。朝、工場へ出勤すると,私は飛行機のエンジンを製作する工場に急いだ。点呼が終わると,今日の仕事の段取りが有り、仕事…

遠い思い出 3

小学校を卒業して新しい中学校に入学した。その中学校は自分の家から歩いて行けた。新しい中学校というのは、新設の中学校で、平屋立ての木の香の匂う校舎が雑木林の中に並んでいた。そこで私は4年間を過ごした。と言ってもその4年間は、唯勉強をする4年間 で…

遠い思い出 2

わたしの入った小学校は東京の郊外の静かな住宅地にあった入学した時の私は,内気で人見知りをする子どもであった.それで、学校の行き帰りの道で上級性にいじめられることもあった。でも,休まず通学していたのは,何か学校におもしろいことがあったのであろう…

遠き思い出 1

「私が小学生の五年生と言えば、昭和12年に起きた蘆溝橋事件後日本が中国との戦いに本格的にのめり込んでいき、ついには日米開戦となる昭和16年の2年前の昭和14年の頃である。その頃日本の社会は、日中戦争に加えて、米・英国との摩擦も多く、忍び寄る大戦の恐…