教育支援 blog

NPO法人教育支援三アイの会 木内 昭公式ブログ

遠い思い出 30

昭和52年4月、4年間に亘る東葛飾地方出張所での管理行政の仕事から解放されて,懐かしい教育現場に帰ることになった。しかし、自分自身管内の人事に携わっていたので,当時の小菅傅地方出張所長には私の人事は最後でよいですと申し上げていた。そして、最後に空いていたのが,小学校であり、野田市立南部小学校であった。小菅出張所長は小学校でいいのかと気遣って下さったが私は何となく心安らぐ思いがした。

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居場所

夢未来塾に来ている中学生も、高校に合格して4月から高校生となります。

「これからも何かあったら来な。」と言っていますが、淋しい気がします。

 

学校か何かで辛いことがあって、行く場所がないときは是非、夢未来塾へ来てください。皆さんと一緒に新たな生き方を見つけましょう。

遠い思い出 29

学校現場を離れて行政の仕事に従事したことは、今まで生徒と接触してきた感覚から違和感を覚えることも多かった。でも行政上の視察である学校訪問は各学校の施設整備状況と学校経営の状態を把握して、その改善を計るというもので,東葛飾地方の教育実態とと教師の動態がよく分かりその改善の方向も見られるようになった。中村課長が去った翌昭和四十九年四月に管理課長になった.星野一郎所長は管理課長の経験もあり何かとご指導をいただいた。

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遠い思い出 28

子どもの教育は負荷を掛けることだ。負荷と言ってもその子どもに応じた負荷であらねばならないことは勿論である。それに家庭それぞれで育てられ方、人間としての生き方も違った養育をされてきている。それを生かして尚より高く深い人間になって欲しいと思えば、学校という集団の中で、又学級集団での生活の営みがなければならないと思った。集団の中で他人を考え自分を考える。人を高める喜びを味わい、自分も高められる喜びを味わう。

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遠き思い出 27

我孫子中学校を去る時がきた。根本正夫校長(当時我孫子第一小学校校長)、山崎森蔵 校長(当時我孫子第四小学校校長)の推薦もあり,校長試験に合格して,昭和44年流山
市立東部中学校へ赴任したのである。そう言えば,東葛飾地方出張所での管理職試験の 面接の時、大澤健所長(教育についていろいろと指導して貰っていた)から、[県での試 験が済んだら、言うことを聞け」と言われた。それが、流山東部中学校へ行ってよく分 かった。

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遠い思い出26

 私は、教師集団の組織化こそ学校を変革し得る基だと思いそれに取り組んできた。いろいろと抵抗もあったが、渡辺さん始め樽さん,稲生さん、豊島さんらの支持もあり、次第に軌道に乗ってきた。生徒の活動を助長し、生徒集団の組織化と生徒自身による学校生活づくりの実践も見えて来た。生徒たちの心の向上はは自分に負荷を掛けられる精神的面の発達だと考え、その実践に取り組んだ。

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遠い思い出 25

我孫子中学校へ赴任してみて,私が見た我孫子中学校は数年前に火災に遭っていて全焼した後、建て替えられた半円形型の校舎で校庭に平行して廊下が広がっており、三階までの廊下に生徒が群がり校庭を見下ろしていた。校庭には、休み時間というのに一人の生徒も出ていない異様な光景であった。我孫子中学校は当時体育館がなくて、私達我孫子中学校への赴任教師は、我孫子第一小学校の体育館で辞令を戴いた。

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