教育支援 blog

NPO法人教育支援三アイの会 木内 昭公式ブログ

遠い思い出26

 私は、教師集団の組織化こそ学校を変革し得る基だと思いそれに取り組んできた。いろいろと抵抗もあったが、渡辺さん始め樽さん,稲生さん、豊島さんらの支持もあり、次第に軌道に乗ってきた。生徒の活動を助長し、生徒集団の組織化と生徒自身による学校生活づくりの実践も見えて来た。生徒たちの心の向上はは自分に負荷を掛けられる精神的面の発達だと考え、その実践に取り組んだ。

 当時我孫子中学校は通学距離も長く自転車通学がある距離以上の生徒には認められていた。学校前の交通事情も自動車の交通量多くなっており,道路幅も狭い事情もあり危険の面もあったので自転車を利用しないで歩こうと生徒に提案し,私自身も我孫子駅から歩いた。又バス通学も認めていたが、これも歩くように指導した。これは、保護者や自転車業主から抗議があり,問題化するところまでいった。しかし、地元の飯合校長の自転車業者への提言(木内教頭は生徒のためなら自分を犠牲にしてもがんばる人間だ。生徒を駄目にはしない。ゆっくりと見守ってやって欲しい)が私を救ってくれた。又当時の渋谷宏校長は,保護者の抗議に(木内教頭は何かを創る人間だ 。壊す教師ではない。子どもの為に,がんばっているのだから認めて欲しい)と言ってくれた。問題のある生徒たちへの指導は手抜きせず,恐れず直ぐにやった。樽さんから指導のために軽オートバイが必要と言われ直ぐに買った。事故を起こし鑑別所に送られた生徒を毎週訪問し声を掛けていた渡辺さん。お陰で私は、負荷教育の実践が出来たのである。私が保護者の抗議の中でそれなりの教育が出来たのも,私を支えてくれた人々のお陰である。その後、教師の熱意と行為が生徒を動かし教科の学力も全校で向上し,高校入試でも東葛高校へ二桁の生徒が合格するようになっていった。体育面でも,中学校東葛飾地方駅伝大会でも今までは不参加の時もあり、参加しても下位の成績であった。それが、たちまち6位になり、その翌年は優勝し、その後四年優勝が続いた。このような学校作りが今まであっただろうか。我孫子中学校を避けて柏中学校に越境入学が当たり前になっていた時代に,渡辺さんを中心とするこの教師集団は,奇跡を成し遂げたのである。不当のまかり通った学校の生徒集団を正常化しただけでなく、その不当と言われた生徒に慕われ,卒業後までもその面倒を見てきた渡辺さん達、その後我孫子中学校の校長として退職した樽さんは、この時代の教え子たちに働き掛け,我孫子中学校同窓会を組織した。生徒は,先生を慕い今一緒に何かをやろうとしている。この教育実践こそ本物ではないか。それにしても教育現場は又教育行政の方々は見る目が無いと言うことか。賞賛の声もかけようとはしなかった。この我孫子中学校の成果を私は声を大にして世に問いたいと思う。個性ある教師、何かにとりつかれたように前向きに突き進む教師。これらの教師をどうまとめ、どう引っ張っていくか、それは私の教頭としての仕事かと思い様々な行動を取った。酒も飲み談笑した。それが又教師集団を高めた。生徒も変わった。生徒の集会は、生徒の手で行えるようになった。卒業式も変えた。どこまで変えられるのか。期待は大きかった。だがその我孫子中学校を去る時が来た。