教育支援 blog

NPO法人教育支援三アイの会 前理事長の公式ブログ

遠い思い出 28

子どもの教育は負荷を掛けることだ。負荷と言ってもその子どもに応じた負荷であらねばならないことは勿論である。それに家庭それぞれで育てられ方、人間としての生き方も違った養育をされてきている。それを生かして尚より高く深い人間になって欲しいと思えば、学校という集団の中で、又学級集団での生活の営みがなければならないと思った。集団の中で他人を考え自分を考える。人を高める喜びを味わい、自分も高められる喜びを味わう。

そのために教師はひとり一人の子と膝つき合わせて自分にとって何が良くて何が悪いのか、心を込めて話合うことが大切であると常々職員に話してきた。それを具体的に実践してくれたのが阿部孝子さんだった。ある日職員室で自己主張の強い生徒の行動について指導している阿部さんの姿を見た。その子の眼をしっかりと見て懇々と話すあべさんの態度に私は感激し、校長室に入って暫し涙にくれた。今まで子どもの尊重という美名に隠れて、しっかりとした生き方の指導の出来なかった部分が阿部さんの登場に依って補強されてきた。又新たに加わった若手の教師群(松本義博・飯田肇・田嶋一誠)更に実力の兼ね備わった長谷川憲人・弘重たゑ子・鈴木利昌さん等の活躍は、先ず部活の活動にその効果が現れ、水泳、野球、バスケット、テニス,陸上などでの優勝は当たり前となっていた。水泳での佐伯英清之指導は有名にもなった。
この子どもの積極性ある学校生活は、学校集団としての連携と共鳴を沸き起こし,生徒の手による全校生徒集会活動は,東部中で行われた県主催の生徒指導研究部会で公開され,参加した教師達に感銘を与えた。この実践を陰から育ててくれたのは,横山輝邦教頭であり、佐藤昌雅教頭であった。特に横山教頭は私が新任校長としてはやる気概を受け止め、愚痴一つ言わずにサポートしてくれた事には感謝の気持ちで一杯である。保護者の方も私を理解して下さり、その後[一桁会」を作り交流を深めたとは忘れられない。瞬く間に四年が経ち千葉県教育委員会東葛飾地方出張所の管理主事として勤務することとなった。

「一桁会の会員である東部中の保護者黒田津子さんに見送られて、東葛教育出張所の管理下に赴任したのは、昭和四十八年の四月始めである。学校現場を離れての仕事は、私には似合わないといくら不平を言っても所詮仕方がないことと、中村宏管理課長の下管理主事としての仕事に従事した。