教育支援 blog

NPO法人教育支援三アイの会 木内 昭公式ブログ

遠い思い出 22

風早中学校での思い出は,出会った同僚との魂の揺さぶりだ。教育の現場で教育を語り生徒の行動を話し合うだけでなく,人生のあり方を話合う場と時を作ったことを強烈に思い出す。その仲間が今井義武であり、岡田博だ。今井は多趣味で、人間味があり,私とはウマがあった。組織した読書会で川端康成の小説を読み合ったり,長野の諏訪まで行って

 彼の実家に泊まり霧ヶ峰高原を散策した思い出は懐かしい。椎原宏一も同行している。今井は自動車の整備士の免許や針・灸の資格など諸々の技術を身に付けていて、その人生に対する積極性には感嘆の外はない。心に問題が生じれば彼の所に伺っていた。その彼も今はいない。一人あの世に逝ってしまった。淋しい。同じ風早での同僚岡田博も忘れられない一人だ。詩人の持つ気弱さと感性を備え常に発する「だって」と言う言葉は,批判精神旺盛で何時も議論が高揚する。それだけに彼と話しをするときの緊張感はたまらなく大きい。今井を交えて三人で話合う時は,何時間あっても足りない。その彼も今はもういない早すぎた死であった。
学校経営初歩を身に付けて,教師集団をどう組織するかと思案する時,千葉県教職員組合東葛支部の役員選挙があり,書記長候補として立候補して欲しいとの要請があり、対立候補として大田健一さんが立った。支部始まって以来の対立選挙となった。選挙の結果私が当選し昭和36年4月から籍を野田一中に置いて,専従として組合の書記局に勤務することとなった。
教育活動を自分達の手で築き上げよう。教師の権利を守ろう。人間としての生活し得る環境を確保しよう。これが教職員組合の基本の姿勢であると考え、千教祖東葛支部の書記長として働くことを決意した。しかし、事態はいろいろと変化する。そう簡単に組合運動は進展しない。組合内部でも異なった考えがあり、それが公然と反対して対立を繰り返す。組合での内部討議とその結果妥協すべきものは、妥協し、ぎりぎり話し合って解決しようとする意思のないことに驚いた。何か上部の組織の命令であくまで対立するように仕組まれているようで割り切れない思いがした。私の書記長時代には、学力テスト反対運動、教頭試験反対闘争などがあり、組織の中心者として闘争をどう組織して、どうまとめあげ、対決すべきものにどう対処すべきか。何時もそれを考えてきた。労働組合とは、働く労働者の基本的人権と生きるための生活擁護にあると常に思って来た。そのために組織内では常に議論し合い、より高い理念に支えられた行動規範を用意していなければならない。このことを実現するために努力をしてきた。又教師である私達は教師としての仕事についても、最高のものを生み出す努力をしなければならない。そういう思いで与えられた仕事に熱中してきた。その結果が支部教育研究集会の実施。組合費のスライド制の実施など、これからの組合が必要とする体制維持と将来の活動力を増強するための取り組みを続けてきた。その間幅広く包容力のある飯合大助支部長は、千葉県の教職員組合の書記長を経験した大先輩で柏市の光ヶ丘小学校の校長でもあった。闘争になれば真っ正面から取り組むことの多い私に、幅のある戦術を示唆してくれることが多かった。飯合先生には以後世話になることが多く。特に後述する野田二中の生徒指導事件では、我孫子市の教育長であった
飯合先生は「俺の所へ来い」と手を差し伸べてくれた。その先生は今はいない。命日には、位牌の前で手を合わせている。