教育支援 blog

NPO法人教育支援三アイの会 木内 昭公式ブログ

遠い思い出 29

学校現場を離れて行政の仕事に従事したことは、今まで生徒と接触してきた感覚から違和感を覚えることも多かった。でも行政上の視察である学校訪問は各学校の施設整備状況と学校経営の状態を把握して、その改善を計るというもので,東葛飾地方の教育実態とと教師の動態がよく分かりその改善の方向も見られるようになった。中村課長が去った翌昭和四十九年四月に管理課長になった.星野一郎所長は管理課長の経験もあり何かとご指導をいただいた。

 

東葛飾地方の教育行政は主に出張所の管理課が中心になって運営されており,指導室が教育行政の助言指導にあたっていた.百六十校からの学校の指導となるといろいろと大変で,教師の問題から生徒の非行問題と常に緊張を強いられた。それを適切に処理し市町村の教育委員会に指示を与えるということになると,管理課の仕事の処理は迅速且つ的確にしなければならない。当時管理主事は三名で田中栄・岡沢照義・江沢貢が居て管理職に対する指導も十分こなせた。各地区の教育長にも行政指導を徹底させていた。その後石井日出男・松岡新司・森下茂夫等の個性豊かな管理主事によって管理行政は気持ちよくはかどっていった。当時の東葛の校長会は富澤定一・岡野米司・大澤幸平・飯合大助・酒巻正八郎等大物校長が居て校長会はよく統率がとれていた。その点では管理課の仕事は楽であった。二年後に所長が替わり小菅傅所長となったが12月に身体を悪くして入院した.丁度人事の始まる一月であったので,私が所長に代わって人事事務に当たった。しかし、所長の決裁を得るため,人事案件を持って千葉の大学病院へしばしば通った。県の今井正教育長はそれを理解して下さってとても有り難く思ったものだった。私は,渡辺藤三郎先生にされたように若い教師の発掘に努力した。出来るだけ出会える機会を持ちその情熱を認識し,所長にも紹介する努力を続けた。その結果か,今現場で活躍している校長の何人かは,当時の連中である。出会うと声を掛けてくれることは、たまらなく嬉しい。当時は児童・生徒の急増の時代で,五百人からの教員を採用した。その面接と書類の作成で管理課は、てんてこまいて゜あり,二月、三月は深夜に変えるということは当たり前で,三月下旬の春分の日に県への提出書類もすべて終わり、久し振りに所外の道に立った時の日差しの眩しかったことは今でも忘れられない.東葛飾の教育行政の発展にいささか貢献出来たかと自負するのであるが・・・私も出張所を去る時でもあり,所長にどこか往きたい学校があるかと聞かれた時に,「人事にタッチしてきた私は,どこへとはいえません。最後に残った学校で結構です」と云っておいた。 小菅所長は小学校でもいいかと問われた