教育支援 blog

NPO法人教育支援三アイの会 木内 昭公式ブログ

遠い思い出 13


Kは同級生との争いはしょっちゅうだった。ある日、喧嘩の果てに教室の窓ガラスを蹴破って飛び出した。私は家まで追いかけた.三キロはあっただろうか。彼の後を追って彼の家に入ったところ、彼は母親といた。「どうした」と言って近づくと彼は、台所から包丁を持ってきて私にに突きつけた。今考えてみれば、教師に捕まえられれば、ひどい目にあうという経験があるのだ.そばに来た母親が「うちの子は、かっとすると何をするか分からない、先生逃げて!」と泣き声をあげた。私は勢いのあまり「やるならやれ!」と彼の前に身体を突き出した。

 

と、彼は、一瞬私をにらんでいたが、持っていた包丁を投げ出して裏口から飛び出していった。なぜ彼が包丁を私に突き出さなかったのか.なぜ彼が包丁を捨てて飛び出ていったのか。
彼等と一緒になってから、そんなに経っていない時期であったと思う,彼等と隣の鎌ヶ谷小学校の校庭で遊ぶ時間を設定した。皆小学校の校庭の鉄棒や砂場でふざけ合っていた。「うるさい! 何をしているんだ!」と言う怒鳴り声がした。仁王立ちの小学校の校長がそこにいた。「早く,中学校へ帰れ」とわめいた.私は,「私が担任です。怒るなら私を怒って欲しい」「この生徒たちは、悪くない」と小学校の校長に食って掛かったことを覚えている。このことがあってから,この子たちの私を見る目が変わったきたように思う。特に女子は私に近づき何事も話すようになっていった。あのKも私の思いに許容の心が生じていたのではないか。彼等を思い,彼等の考えや行為を何とか理解しようと努力していた私の心をKもきっと見抜いてのあの包丁を私の身に刺さず逃げ去る行動であったのだろう.彼等の身になって考える。彼等を理解しようと務める。これは、これからの私の教育実践の基本になっていった。六月に入ると私は完全に参った.。心身共に疲れたという状態になった。休暇を取って借りていた離れの一間に寐ていると,午前十時頃多勢の声がする。暫くすると、N・Sが「先生いるか」と縁側から声を掛けてきた。「おお、来たのか」と寝床から起き出して縁側に出ると「皆もいるよ」と道の方を指さす。その指の先に高くなった路肩に,男子全員が座って石を投げ。たりしていた。私は「ありがとう。こっちへ来いよ」と叫んだ。しかし、彼等はそこに座ったままだった。こんなに多くの人数で行っては迷惑だろと思ってでもいたのだろうか。上がり込んだ二人は「先生早く良くなれよ」「おれが,歌唄ってやるぞ」と当時流行していた「トンコ節」をトンコ、トンコと大声で唄ってくれた。見舞いと言うことよりも、私に近づいて来てくれたことが無性に嬉しかったし,喜びでもあった。