遠い思い出 21
子どもとの学校生活の中で、相変わらず私は、子どもらに注意をされ、意見も言われた。それは、彼等を私と同じ人間として思うからだ。悦子、美千代、美智子などの注意は何時もだった。乱暴者としていわれていた高橋利昌も、よく私に食いついてきた。生きることに真剣さがある利昌と言い合った。彼は、卒業して間もなく死んだ。喧嘩から刺されたのだ。葬儀に出て、泣いた。中学校の2年半学校に来ていても、口をきかなかった秋山利郎が3年の後半ホームルームで前に出て司会をし発言した。私の目から涙がしたたり落ちた。飯塚勝将達学級のみんなの努力だ。それが稔ったのだ。3年間受け持った彼等は卒業し去って行った。卒業しても一緒に学習しようと集まって始めた「だるま会」は文集を出しつつ続けていった。「やまびこ学校」にも等しい生活運動が続けられていったのである。
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