教育支援 blog

NPO法人教育支援三アイの会 木内 昭公式ブログ

遠い思い出 13


Kは同級生との争いはしょっちゅうだった。ある日、喧嘩の果てに教室の窓ガラスを蹴破って飛び出した。私は家まで追いかけた.三キロはあっただろうか。彼の後を追って彼の家に入ったところ、彼は母親といた。「どうした」と言って近づくと彼は、台所から包丁を持ってきて私にに突きつけた。今考えてみれば、教師に捕まえられれば、ひどい目にあうという経験があるのだ.そばに来た母親が「うちの子は、かっとすると何をするか分からない、先生逃げて!」と泣き声をあげた。私は勢いのあまり「やるならやれ!」と彼の前に身体を突き出した。

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遠い思い出 12

    追い出されたということなのか。何か割り切れぬ気持ちはあったが,新たなる道への期待もあって鎌ヶ谷なる土地に思いをはせた。鎌ヶ谷中学校を見ようと4月の年度始めの休業日に根本隆氏を誘って自転車で住んでいた福田から松戸を通って鎌ヶ谷へ行った。東武野田線新京成電鉄の交差する所にある鎌ヶ谷中学校は,平屋建ての古い木造校舎であった。
この鎌ヶ谷中学校の校長は私が教師になるきっかけを作ってくれた吉田俊夫氏であった。
吉田校長の紹介で下宿先も決まり中途半端な赴任となったが4月16日一人で鎌ヶ谷中学校へ赴任した。職員室の席に座るやいなや、根本教頭が脇に来て「やあ、今日からあんたは2年生のクラス担任だ。2年生は今年か

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遠い思い出 11


教師として福田中学校へ勤務していた年の暮れに旧制の東京高等学校を休学していた私に担任の松浦嘉一教授から封書がきた。教育改革で教育制度が変わる。現在の官立大学が新生大学になり旧制の高等学校は廃止になることになった。来年は今の高校に来て卒業し新生大学に行くようにという気遣いの文面であった。松浦嘉一先生は、夏目漱石の門弟で作家久米浩の著書破船にも出てくる人である。休日に松浦先生宅

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遠い思い出 10

日本の国は、戦争に負け、アメリカ・イギリス・ロシヤ・中国等の連合軍の統治することとなった。その統治者としてアメリカのマッカーサー将軍が来日し,占領軍の間接統治が行われた。軍国主義国家であった日本に対して政治改革や経済改革及び教育改革を要請し実施させた。特に教育改革では、義務教育について今まで6年間であったが3年延長し9年間にするよう指示されたのである。それで新制の中学校が出現したのである。

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遠い思い出 9

  慌ただしく青い鳥児童劇団解散の事務を終え、指定されていた千葉県東葛飾郡福田村立福田中学校に行くことになった。 吉田校長先生の指示により昭和23年5月30日の夕方東京から柏を経て東武野田線に乗り案内の通り梅郷駅におりた。丁度太陽が姿を没しあたりが夕闇に包まれていた。駅前の雑貨店に寄り福田中学校までの道のりを聞くと線路を渡ってまっすぐに行けばいけると老婆が簡単に教える。その通りに行くと直ぐさま両脇を取り囲んだ杉並木の中を歩むこととなった。あいにくの闇夜で僅かに前方に見える星を頼りに歩み始めた。脇の切り立った杉並木林は

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遠い思い出 8

児童劇団の活動は、思うようにいかなかった。稽古の場所の確保も侭ならず、小学校の空き部屋を借りたりしていた。劇団の児童たちも、平日は学校に登校しているのだから、稽古となれば、夜間か日曜日に限定される。それにスター的な児童ともなると学校のクラブ活動で活躍し、他の芸能団体にも入っている。劇団員の確保が困難にもなってきていた。
そこへ野田市の小中学校の児童生徒への公演が終わった後の一言「学校では、劇が出来るよ」という吉田校長の一言が強く心に響いた。当時義務教育の小中学校は、昭和20年8月15日に終戦を迎え9月2日日本政府は米艦ミズリー号船上で降伏文書に調印した。

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遠い思い出 7

太平洋戦争が昭和20年8月15日にラジオからの天皇の放送で始めて戦争が終わったことを知った。戦争が終わったという安堵感と、これから日本はどうなっていくんだろうかという不安が心に残った。時が経つに従って、その不安は増大していった。空襲はなくなり死ぬ心配はなくなったが,日本全土は,各都市が空襲に遭い,焼け野原となっていた。家を無くした人、家族を失った人と日本の国民は何らかの被害を受けていた。それに,占領軍に降伏した日本の兵隊達が,外地から帰ってきた。何百万という軍人だけでなく、

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