教育支援 blog

NPO法人教育支援三アイの会 木内 昭公式ブログ

遠い思い出 19

鎌ヶ谷中学校は、当時は農村といわれる地区で、農家の事情もあり、長期欠席の生徒も多く私が学級を受け持っていた時は、その在籍に三~四名の長期欠席者がいた。学級を受け持って暫くして、この長欠者の所を訪問しようと思い、生徒に聞くと生徒は{ああ、その子なら毎日学校の前を通って仕事に行っているよ」と言う。彼等は一人前の仕事人なのだ。社会人なのだ。そのこともあってか,地域での中学校の評判はよくない。だからか小学校を卒業すると,有識者の子は船橋の公立中学校へ越境入学を

 

する。地元の鎌ヶ谷中学校に入ってくる生徒にこれが影響を与えないとは云えない。卒業したみんなが肩組んで地元の中学校へ来て欲しいと願うのは当たり前の教師の姿だ。これは、おかしいと私は考えた。そして、小学校の校長に直接嘆願しようと思った。入学式も終わったある日、私は単身鎌ヶ谷小学校の校長室に乗り込んだ。入り込んだ校長室の真正面に大きな机があり、その奥に浅黒い小柄な人物が座っていた。この人が今年から赴任してきた富澤定一校長である。「私は中学校の木内です。中学校の現状と小学校の卒業生の中学校全員入学についてお願いにきました」と話し始めた。用意した話の内容はすべて話した。富澤校長はその間無言であった。私は話しに窮した。‘それだけか、よし,分かった。考えて置く」とはっきり言う。私は「はい。失礼します。」と言って室外に出た。明快、率直な答えに信頼感を覚えた。
当時地方自治体のの教育行政は教育委員会が行っておりその責任者が教育長であった。その頃の教育行政は人材不足の感があったのか、現職の校長を教育長に例がおおかった。富澤校長は、鎌ヶ谷の教育長に選任されていた。教育長として休日にはよく町内の学校を廻っていたようで,私が前述の図書館活動で,図書の整理や廃棄・選書図書の会議などで生徒を集めて活動していることが多かった。‘木内君は、よく学校へきているねと教育長が感心していたよ」と当時の上司間根山中学校長から言われたことを覚えている。
当時鎌ヶ谷の町は,浦安町、行徳町、南行徳町の四町で東葛飾軍という行政区域に入り,学校区画としては、この四町で東葛南部地区と呼ばれ,教員の研修も生徒の体育行事もこの単位で行われていた。当時は、教職員組合の活動も全盛期で,当時の組合は校長も教頭も加入していたのである。私は,当時東葛南部地区の執行委員に選出されており(陰での富澤校長の推薦があったのだろうと思う) 東葛地区の活動家や教育実践家と出会うことが多くなった。