教育支援 blog

NPO法人教育支援三アイの会 木内 昭公式ブログ

遠い思い出 16

当時の鎌ヶ谷村は、農家が多く、農村地区であり、特に梨の名産地でもあって生活が農業主体に行われていた。そのためか、長期欠席の生徒も多く、私か゛学級を受け持った時は、その学級に4名程の長欠生徒がいた。4月当初にその生徒の所を訪問しようと、クラスの生徒に「ああ、その生徒ならば毎日勝高のまえを通って仕事にいっているよ」と言う.彼等は乳人前の仕事人なのだ。社会人なのだ。そのこともあるのか、鎌ヶ谷中学校の評判は良くない。だからか、小学校を卒業すると有識者の子は船橋の中学校へ越境入学をする。

 


残りの生徒が鎌ヶ谷中学校に入って来るのだ。小学校を卒業したみんなが肩組んで鎌ヶ谷中学校へ入学して欲しいと思うのは、当たり前の教師だろう。これは、是正しなければならないと私は考えた。そして、私は鎌ヶ谷小学校の校長に直接嘆願しようと思った。入学式も終わったある日、私は、単身鎌ヶ谷小学校の校長室乗り込んだ。「入ります」と校長室の前面を見ると大きな机があり、その奥に浅黒い小柄な人物が座っていた。この人が今年から千葉県教育庁の市原地方出張所長から赴任してきた富澤定一校長であった。「私は鎌ヶ谷中学校の木内です。中学校の現状と小学校の卒業生の鎌ヶ谷中学校への全員入学についてお願いに来ました」と話し始めた。用意した話の内容はすべて話した。富澤校長はその間無言であった。私は話しに窮した。「それだけか。よし、分かった.考えておく」とはっきり言う.私は「はい。失礼します」と室外に出た。明快率直な答えに信頼感を覚えた.当時地方自治体の教育行政は教育委員会が行っておりその責任者が教育長であった。その頃の教育行政は、人材不足の感があったのか現職の校長を教育長にする例が多かった.富澤校長は鎌ヶ谷の教育長に選任されていた。休日には、よく町内の小中学校を視察していたようで、私も前述の図書館活動などで日曜日にも図書整理や図書廃棄・選書の会議などで生徒を集めて活動をしていることも多かった。「木内君はよく学校に来て努力しているね」と富澤教育長が関心していたよ」と当時の鎌ヶ谷中学校の間根山校長から言われたことを覚えている。当時鎌ヶ谷は、浦安町、行徳町、南行徳町との四町で東葛飾南部地区と称し教員の研修も生徒の体育行事もこの単位で行われていた。当時は、教職員組合の活動も全盛期で私も葛南地区の執行委員に選出され(陰での富澤校長の推薦があったのだろうと思う)東葛地区の活動家や教育実践家と出会うことも多くなった。私以上に教育実践に悩みを持つ人もおり又教育に情熱を傾けて止まない人もいた。東葛五千人の教師の中で様々な人に出会った.当時の組合には、管理職も入っていて、篠宮善一校長や安井新治校長
関根明信校長などと共に行動できたことは、様々な面で私を高めてくれた。又地区労働組合の連合会もあって、柏・野田・我孫子・流山等の民間会社の労働者との交流もあり、若い労働者の熱意と気概に教わることも多かった