教育支援 blog

NPO法人教育支援三アイの会 木内 昭公式ブログ

遠い思い出 15

深山勇とは、卒業後の思い出がある。卒業から数年経ったある日、彼から電話がかかって来てお邪魔したいと言う.家に来て早々に「おれ、北海道の彼女と結婚するんだ。お祝いに品物をくれないか」と言う。「何が欲しいんだ」「生活用品でいいんだ」という。野田市の金物屋に行って鍋・ヤカンなど家庭用品を買ったが,それほど彼ははっきりしていて個性の強い一人であった。その後彼は紆余曲折があったが、今新たに福祉事業を立ち上げて奮闘している。

 


鈴木信義や深山勇たちが卒業して、昭和28年4月1年の担任で新たな生徒を迎えた。ここから3年間彼等とのつき合いが始まった。この生徒達と1年から3年まで3年間持ち上がったのは、最初で最後であった。学校経営の中にJRC(青少年赤十字団)活動を取り入れ生徒の自主性と積極性を養い、世界や国内の社会状勢を理解し実践活動を進めることがこれからの中学校教育に必要なことだと思い実践した。その中で育ってくれた生徒達、君塚浩、水沼一、白木正之、勝又功、高村美智子、吉田悦子、飯田由紀子、小倉登美子、鈴木美千代などがいる。彼等とは今でも付き合っている。何かと言えば私を呼んでくれるしし話し合う。その彼等は私の担任した学級の生徒でない者もいる。私は、一学級の担任ではあったが四学級ある学年の社会科を教えていた。各学級に週四時間社会科の学習で生徒達と接触していた。今までの教育経験から私は一学級担任ではなくて学年全体の担任だという心構えで行動してきた。それが又私の受け持っている学級も生徒も向上し発展するという考えであった。清掃は勿論、学校生活全体に亘って学級を問わず指導し指導し教えてきた。だから私も学年全体のの生徒が私の学級の生徒だという思いがある。彼等とは卒業してからも「だるま会」という会をつくり、文集の発行や地域で映画会を開催し文化活動を展開してきた。私の教育の充実した時期とも云える。やりたいこともこの鎌ヶ谷で実現できた。演劇活動もそうだ.製作、監督、舞台監督、演技者すべ生徒に任せてみた。彼等は立派につくりあげてた。「魚の学校」だ。今でも当時の話になると「あの魚の学校の練習のときOO君はさぼって逃げだそうとするのをなんとか説得して連れ戻したんだけれど大変だったね」と監督だった飯田由紀子が言う。聞いているみんなも頷く。話題を共有している喜びがある。私は図書館経営も受け持っていた。開架式を中心にはしたが、貸し出しを勧めて一週間ほどの家庭持ち帰りを奨励した。農村の生徒達に本を大事にせよとは云えない。ぼろぼろになるまで読んで来いとはいった。ある時、教科の国語指導で県の指導主事が来校した。その指導の中で図書館の図書はすべて備品であると言った。私は反発した。本を生徒が読めばぼろぼろになる。又ぼろぼろになるまで読んで欲しい。だから図書は消耗品だと喰って掛かった。これも生徒に本を大事にするよりも読んでくれることを願う私の図書実践であった。図書館活動は地域の子ども達へと発展した。これは、終戦後の過去に児童文化活動を実践し体験した「緑陰子ども会」と関係がある。夏休みに図書部員と協力し鎌ヶ谷の各地区を炎天下リヤカーに本と紙芝居を積み込んで出掛けた。お寺、寺院の境内や木陰の下で幼児や小学生を集めて紙芝居を熱演して、童話を読み聞かせた。これは、今でも懐かしく思い出してくれる生徒がいる。