教育支援 blog

NPO法人教育支援三アイの会 前理事長の公式ブログ

遠い思い出 3

小学校を卒業して新しい中学校に入学した。その中学校は自分の家から歩いて行けた。新しい中学校というのは、新設の中学校で、平屋立ての木の香の匂う校舎が雑木林の中に並んでいた。そこで私は4年間を過ごした。と言ってもその4年間は、唯勉強をする4年間 ではなかった。別の言葉で言えば、波瀾万丈の時でもあった。
でも小学校で常に緊張の中で過ごしていた時と比べて、自分のことも考えられ、学習にも
力を入れられる余裕ができた。
1年生だけの中学校は、

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遠い思い出 2

わたしの入った小学校は東京の郊外の静かな住宅地にあった
入学した時の私は,内気で人見知りをする子どもであった.それで、学校の行き帰りの道で上級性にいじめられることもあった。でも,休まず通学していたのは,何か学校におもしろいことがあったのであろうが,今思い出せばクラスの友達が良かったのではないだろうか。
3年生のころになると,クラスの友達とも仲良くなり,学校か゛終わるとみんなで遊んだ。
その一つに相撲があった。学校の近く

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遠き思い出 1

「私が小学生の五年生と言えば、昭和12年に起きた蘆溝橋事件後日本が中国との戦いに本格的にのめり込んでいき、ついには日米開戦となる昭和16年の2年前の昭和14年の頃である。その頃日本の社会は、日中戦争に加えて、米・英国との摩擦も多く、忍び寄る大戦の恐怖におののいていた。しかし、五年生の私は、そのような大人の苦慮を感じることもなく学校生活を送っていた。日常の生活の中では、穴の空いた運動靴を買い換えるのに苦労した事ぐらいである。その頃私の学級に「ニャーゴ」と呼ばれていた同級生がいた。爪でひっかくから猫のようだ。

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私のこと

老いてきたことを自覚することが多くなった。

あたまの中では、歳老いてきたと思っていないのだが

足腰が云うことを効かなくなった。

足が前に出ない。着地する足が不安定だ。

この間、常磐線に乗車した時、空いてはいたが

座席は満杯であり、吊り革につかまっていたら、

前の席に座っていた若い女性が、黙って席を空けてくれた。

自分自身もそんなに老いぼれていないと思っていたのだが、

どうも他人から見ると相当老いぼれているように見えるようだ。

そういえば、東武線の野田市駅で地下通路からホームへ出る

階段を昇っていたら、「お手伝いしましょうか?」と声を掛けてきた

若い男性がいた。「ありがとう」とその行為に敬意を表したが

年寄りと思われているのだなあと哀感を覚えた。

続きもある。急に現金が必要になり、近くのコンビニのATMに寄り

慣れない手続きで操作をし何とか、用を達したのだが、駅から通路を

通って階段を昇っていた時、後ろから来た女性に「振り込め詐欺

あっていないでしょうね」と尋ねられた。「いや、大丈夫です」と

言ったが、そういえば、先ほどATMに立ち寄ったとき後ろで順番を

待っていた女性のようだった。年寄りの振り込み被害と思われる

体たらくなのだ。

今日もそう思われないようにと腰を伸ばし、上を向いて玄関の戸を

開けて出勤しよう。

世 相 無 題

街は、動いていない。

行き交う人々は多い、みな無言である。

まっすぐ正面を向いて歩いていく。

行き交う人を見ることもない。

たまに私と眼があっても無表情である。

柏駅頭で金曜日には、政治団体だろうか

原発反対の人々がたむろし、ちらしなど配っている。

無表情なのだ。

趣旨をマイクで語っている人も道行く人に訴えるわけでなく

淡々とことばをつなげていく。

何事もなく始まり終わり、

街は動いている。